やりがいのない「忙しさ」を捨て、「商い」の調和を生む
昨日(2026/6/16)から突然、当サイトへの検索流入キーワードに「顧客の数だけ見ればいい」という言葉が入って来ました。
ご質問や検索ワードといった「ニーズ」に応じて記事を書いている手前、まさに「我が意を得たり!」と、このテーマで記事を書きはじめたのですが……今更不思議になって調べてみると、多分これって2024/10/22に出版された書籍のタイトルですね。何故昨日から突然増えたんだろう?
ともあれ顧客数という「意思決定主体」に目を向けた、その思い切りの良いタイトルに共感と敬意を表し、まずは着想のお礼に同書の紹介をさせていただきます。
>『顧客の数だけ見ればいい 明日の不安から解放されるたった一つの経営指標』(Amazonリンク)
目次以降の表面文字数11,044文字。AIによる推論読了時間は約22分です。
AI Verified@2026:本稿はAIによる論理的堅牢性とフェアネス、認知流暢性の検証を得ています。
まず、小売業における従来の「POS分析の売上方程式(因数分解)」は以下の通りです。
※.以降の方程式はすべて単品売上から店舗売上まで適用できるものですが、今回は「顧客満足」と「繁盛店」がテーマである為、店舗売上の視点で見て行きます。
MD研究会などでは伝統的に、実数である「客数」の増加よりも、平均値である「客単価」の増加に焦点が当てられてきました。
すなわち、既存数値へのプラス一品(客点数増)や、ワンランク上の価値訴求(点単価増)といった、顧客バスケットへの、ありもの(主に単品)の上乗せが主たる研究テーマでした。
これに対して、「ID-POS分析の売上方程式(因数分解)」は、POS分析の方程式中唯一の実数である「客数」をさらに分解した以下のものとなります。
単に客数を分解しただけですが、極めて重要なのは、レシート枚数(紙)と平均値という「モノの世界」からようやく脱した事。
「モノの世界」に糊塗されて来た、それぞれが異なる状況に置かれ、それぞれが異なる価値観を持った「意思決定主体としての顧客」という「ヒトの世界」、売上を生み出している根源的実数に、遂に到達したことです。
ID数(顧客数)とは、私たちの「店」に何らかの利用メリットを認め、数ある選択肢の中から曲がりなりにもその自我(エゴ)が選んだ、「意思決定主体の数」に他なりません。
(ヒトの自我(エゴ)= 状況 ✕ 価値観)
「客数を分解しただけで何を大袈裟な!w」と思われましたか?
それではその意思決定の主体(顧客)が、私たちの売上の一体何を「決めている」のか?何故思うようにプラス一品や、ワンランク上の価値をカゴに入れてくれないのか?見ていきましょう。
まず、私たちの店を利用するか/しないかを「決めて」います = ID数
利用しないと決めた人のカウントはゼロ、方程式上売上も当然ゼロになります。
プラス一品、ワンランク上の価値どころでは無く「決定的」です。
明らかにこれが無くては、以降の方程式が一つも始まらない「すべてのスタート」であり、本当のボリュームをもたらす「マス」そのものです。
利用すると決めた人は次に、私たちの店をどのくらいの頻度で利用するかを「決めて」います = ID回数
これもプラス一品、ワンランク上の価値どころでは無い影響度ですが、おいそれとは通えない遠方の人もいれば、近所にお住まいの人もいます。これは各人を取り巻く状況が決めています。
それとは裏腹に、毎日新鮮なものを手に入れたい人もいれば、週一まとめ買いしたい人もいます。これは、各人の価値観が決めています。
(ヒトの自我(エゴ)= 状況 ✕ 価値観)
その次に、私たちの店の中で何と何を買うか/買わないかを「決めて」います = 客点数
これは従来の「プラス一品」の世界でもありますが、一人暮らしで多くは必要ない人もいれば、五人世帯で大量の買い物が必要な人もいます。これは、各人を取り巻く状況が決めています。
それとは裏腹に、私たちのお店ですべての買い物を済ませたい人もいれば、一部の品にしか利用メリットを認めていない人もいます。これは、各人の価値観が決めています。
(ヒトの自我(エゴ)= 状況 ✕ 価値観)
ヒトの自我(エゴ)= 状況 ✕ 価値観 は、私たち自身が身を以て証明しているように、強固で頑迷なものですが、「レジを通っている」という事実から、客点数にはその「状況」に、「店内」という状況からの影響が加わっています。
まずは、そもそも 欲しいものがあるのか/無いのか という店内状況による影響 = 品揃え、欠品
せっかちにも見つけられ、うっかり者にも忘れられないか という店内状況による影響 = 陳列
ついで、コストパフォーマンスが適切かという店内状況による影響 = 鮮度、品質、価格 です。
ここに私たちの介在の余地があります。
(状況 ✕ 店内状況 ✕ 価値観 = ニーズ)
最後が点単価です。
こればかりは顧客ですら「決めて」決まるようなコントロール下にあるものではありませんが、点単価についても私たちの「店内」で決まっている事は確かです。
これも従来の「ワンランク上の価値」の世界でもありますが、可処分所得が高い人もいれば、低い人もいます。これは、各人を取り巻く状況が決めています。
それとは裏腹に、「安いもの = 欲しいもの」な人も居れば、いくら安くても「欲しいものしか欲しくない」人もいます。これは、各人の価値観が決めています。
(ヒトの自我(エゴ)= 状況 ✕ 価値観)
「店内」という状況の影響に関しては、前出の要素に加え、「何を」安く売っているか?安く見せているか?それは「欲しいもの」か? が加わって来ます。
ここにも私たちの介在の余地があります。
(状況 ✕ 店内状況 ✕ 価値観 = ニーズ)
③客点数と④点単価には、「店内状況」という介在の余地があるからこそ、MD研究会のメインテーマとなっていたのですね。
しかし、利用時の店内状況(③、④)がまた「①私たちの店を利用するか/しないか」 という次の意思決定へと還元されて行きます。
ぐうの音も出ないほど「決定的」です。
売上方程式、すなわち私たちの売上のほとんどの要素は「顧客が決めている」のです。
既存数値に対する、ありもののプラス1品や、ワンランク上の価値訴求といった、ミクロで牧歌的な話ではありません。
ありものとその価値の「そもそも」をID数(顧客数)は、私たちに突きつけ続けているのです。
さてそれではその、状況に制約された、強固な価値観が生み出す、個々の自我(エゴ)による意思決定。
そこへの、私たちの介在の余地(影響)について考えてみましょう。
まず、個人の置かれた状況は、当然変化するものですが、個人の居住地や世帯人数、可処分所得は私たちのコントロール下にはありません。
例えば毎週来ていた人が、月一しか来なくなったのが気になる(関心を惹かれる)かもしれませんが、それは遠方に引っ越したかもしれず、気にしたところで手出しできないのですから、仕様がありません。
同じく20点買っていた人が、10点しか買わなくなったのが気になる(関心を惹かれる)かもしれませんが、子供が独立したかもしれず、気にしたところで手出しできないのですから、仕様がありません。
個に、そして状況に関心を寄せても、「仕え様がない」のです。
図:「仕え様がない」事どもに関心を寄せ、「仕えるべき」人たちのことを忘れていませんか?
個々の状況の変化は、私たちの「影響」(リアリティー)の中では無く、「興味」、「関心」の中だけに存在しています(イマジナリー)。
次いで個人の持つ価値観も、勝手に変化して行くものですが、それを私たちが上書きする事は、極めて困難です。その努力が不要だとは言いませんが、パクチー嫌いな人に、パクチーを勧めるようなものだとお考えいただければ良いでしょう。
しかも、「買い手としての私たち」に鑑みても「魚の鮮度に関しては神経質で、小分け・使い切りに拘るが、肉はビッグパックを冷凍して使っている」のように、必ずしも一人の人間の中に、カテゴリーを跨いで一つの価値観が通底する訳ではありません。
カテゴリーごとに価値観が何面にも、モザイク文様に入り組んでいるのが、厄介な私たち本来の姿(エゴ)です。
CRMでありがちな「健康志向で高品質を求めるAさん」「とにかく節約志向のBさん」のように、人間をモノのように「他人と同じ、たった一つ」の価値観の束(ペルソナや顧客セグメント)に収める事などできないのです。
どうです?ご自身の価値観は?
全カテゴリーを横断して尚、「自分は他人と同じ、この一つの束の中の人間だ」と言い切れると思われますか?
個々の価値観も状況と同じく、私たちの「影響」(リアリティー)の中では無く、「興味」、「関心」の中だけに存在しています(イマジナリー)。
私たちの影響下にあり、手を出して確実にコントロール可能なのは、「ヒト(状況や価値観の改変)」ではありません。
それは「店内」という私たち自身が作り出した状況、すなわち品揃え、欠品、陳列、鮮度、品質、価格といった「モノ」です(第三者ではなく、私たち自身のコントロールであり、不毛では無い、「実り」の期待できる仕事)。
これらは私たちの第一の興味、関心なのは当然として、正に「影響力(リアリティー)」の真っただ中にあります。
※.「関心の輪」に躍起になる事は徒労に終わる(手を出せない不毛な仕事)。「影響の輪」の中(手を出せる実りの期待できる仕事)に集中し続けてこそ、少しづつではあっても、影響力の拡がりに関心側の外の世界が影響を受け、無関心ではいられなくなって来る(価値観が揺らぐ/距離や可処分所得といった状況の壁を超える等)。イマジナリーの世界では無く、リアリティーの世界に生きるべき事を示す思考モデル。スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」より。
驚かれましたか?
ID-POS分析の論であるにも関わらず、「影響の輪」の中にあるのは、優良顧客、クロスMD、クーポンといった「飛び道具」では無く、そのすべてが小売業の基本中の基本であり、私たちの顧客への「仕え様」なのです。
「決めている」のは顧客であり、「決められている」のが私たち(店)。
コントロールできるのは「ヒト」では無く「モノ(店内状況)」。
これがリアリティーの世界における、商いの理(ことわり)です。
このように、顧客に教える事、自身が第三者(ヒト)に影響力を持つ事、コントロールする事に関心を払うよりも、顧客に教えられ、手を出して影響を与えることの出来る「モノ」のコントロールに集中した方が、限られた労力の使い道としては、遥かに経済合理的です。
流通業界では時に、「顧客育成」「優良顧客」といったイマジナリー極まりない言葉に関心が向けられますが、どうかリアリティーの世界に還って来てください!
「優良」へと「成長(育成)」すべきなのは、顧客に仕える私たち自身(店)に他ならないのです。
図:これじゃー「繁盛店」になれるわけないよねw
そもそも、私たちの経営に必要なのは「定常的な収入」です。
特売のように、その刹那だけ「決めてもらう」ような非定常の連続で、商いが続かないことは、火を見るよりも明らかです。
私たちが求めるビジネスのベースは、あくまでも多くの人(マス)に 自律的、定常的に「決めてもらえる」店内状況です。
単なる規模の拡大では無く、顧客を取り巻く状況と価値観の変化に合わせて、 私たち(店)自身が、「顧客にとって優良」たらんと変化し続けて行くこと(PDCA) が成長です。
その、「顧客にとって優良」な店内状況を、実現し続けて行くためには、新陳代謝(PDCA)を繰り返し続ける必要があります。
その繰り返しには、なにはともあれ「決める」主体である「ID数(顧客数)」が必要です。
たとえ最初は非定常な販促をきっかけに、刹那的に「決めてもらった」としても、ID数(顧客数)さえあれば、私たち(店)は何度もやり直した売り場、仕え様を、大勢に見てもらうことができるからです。
売上方程式の残りの要素である「ID回数」「客点数」「点単価」は、そのやり直し(PDCA)に対する顧客からの「試験結果」のフィードバックに他なりません。
レシートは、試験結果なのです。
私たちはその(時に冷徹な)試験結果から、店内の状況(私たち自身の考え方とモノ)を、顧客の多様な状況と価値観(ニーズ)というリトマス試験紙に「調和」するよう、見直し続けて行けば良いのです。
このように、自身の「売りたい」というエゴと、買い手の多様なエゴとの「調和」を図り続けることこそが、正に私たちの「影響の輪」のど真ん中にあるものです。
顧客から返却され続ける試験結果(レシート)を真摯に受け止め、「調和」への新陳代謝を繰り返し続けていくこと。
これこそが「顧客満足(CS)」を求め続ける、顧客にとっての「優良店」の仕え様です。
※.勘違いしないでいただきたい事は「すべて重ね合わせる必要はない」=「顧客の言いなりではない」という事です。
例えば私たちの自我(エゴ)が「食品スーパー」を「やりたい」業態として選んだ以上、その売り手のエゴを、「衣料品を置いて欲しい」という買い手のエゴに、経済合理性に反してまで寄り添わせる必要はありません。事実、衣料品併設スーパーは減っており、これは個々の買い手は別として、マスな買い手のエゴに適ったからだと考えられます。業態だけでなく「セルフサービス」「チェーンストア」等についても同様です。一方で、郊外型大型店を時代の寵児に押し上げて来た団塊の世代が、今や買い物難民として、それに苦しみ始めているといった変化に見るように、「変化」して行ってしまうものに合わせた「変化」が必要な事は確かです。
この原則を、「『Win-Win(双方の都合に適っている)』or 『No Deal(取引しない)』」と言います。
繰り返しになりますが、まず顧客満足(CS)への「前提」として、その一部であっても利用メリットを認めた裁定者であり、「満足」の判断主体でもある「ID数(顧客数)」がなければ、何も始まりません。
特に人口減少の昨今、私たちが競合と奪い合っている第一のもの。それが「ID数(顧客数)」です。
以降ではこれを前提に、顧客満足の「在り方」「定量化」「認知」の3つについて、順を追って考えて行きます。
まず、私たちにとっての顧客満足の「在り方」について考えてみます。
「One to One」に代表される「個々のID(顧客)」ではなく、「ID数(顧客数)」という数にこだわるのは、私たちチェーンストアが「都市型ミニスーパー」や「高質スーパー」といった、自らに課した「業態」という軛(くびき)の中で、常に「マス(最大ID数)」でなくてはならない為です。
その業態の「マス(最大ID数)」に、自律的、定常的に「決めてもらえる」状況、すなわち利用するメリットのある店内状況、もっと言えば満足できる、優良な店内状況をつくって行かなくてはなりません。
では、その顧客満足を「定量化」して客観的に測るにはどうしたらよいでしょうか?
「マス」という顧客満足の在り方を力説した直後に何ですが、ここでは理解を容易にする為、一旦マスを構成する顧客一人あたりの意思決定と満足度について、2つの例を挙げながら見ていきたいと思います。
顧客一人あたりの満足度の評価は、ID数=1とした以下の式で測ることができます。
※.少なくとも「何らかの利用メリット」を認めているからこそデータが発生し、頻度、点数、単価によらず、結果として「お金」を落としている。「来店」「財布を開く」という心理的抵抗の大きな行為に至っているという解釈。デフレ/インフレを考慮するケースでは、ID点数 = 点数 ÷ ID数 という指標もある。
【顧客満足度の例1】
例えば昭和の特売、「卵1パック1円」に利用メリットを感じ、それ以外の店内状況に一切メリットを感じなかった、俗にチェリーピッカーやバーゲンハンターと呼ばれるような顧客の満足度(ID金額)は以下のようになります。
チェリーピッカー/バーゲンハンターも卵だけ食べて生きている訳ではありませんから、卵以外は、当人にとって私たちの店より「トータルで満足」な、他店で買っていると考えるのが自然でしょう。
またきっとそこでは、そのような不名誉なレッテル貼りはされていないことでしょう。
まあ、どちらも「関心の輪」の中の夢想に過ぎませんが......
【顧客満足度の例2】
同じく「卵1パック1円」に利用メリットを感じ遠方から訪れ、それ以外の店内状況にもそれなりのメリットを感じ、食品スーパーの平均並(10点、240円)には利用している顧客の満足度(ID金額)は以下のようになります。
これは例1の顧客と頻度を同じとした単純計算で、2,160倍です。
その人が店内に利用メリットを感じるモノが多ければ多いほど、この数値は大きくなりますし、それが遠方という状況を超えるほどに価値観にそぐったものであれば、利用頻度も卵1パックのそれを超えます。
理解の為少々遠回りをしましたが、店が多くの人(マス)に満足してもらえているか?を考えれば、何のことはない、これらを束にした「売上高」こそが、店への市場から見た満足度に他なりません。
同一条件であれば、一人暮らしと五人世帯のID金額には当然差が出ますし、どんな優良店であっても、統計的に不満な人は出ますから、個々に測ったところで「仕え様」が無い。
ここまで同様「マスでの満足」に目を向けるべきです。
やれ頻度が高いだ何だと数字遊びに精を出し、お金という「売り手、買い手双方にとっての最重要指標」から目を逸らしてはならないということです。
特に買い手は「自分が払ったお金」以外、値入もロスも在庫も、こちらの都合は一切感知していないのですから。
最後に、数値の裏側にある、「満足」という顧客の「認知」について考えてみます。
「買い手としての私たち自身」に立ち返って、その「満足」を冷静に鑑みれば、食品スーパーやドラッグストアにおける定常的なそれが「CX向上」や「顧客体験価値向上」のような、「大満足です!」の「夢と魔法の体験」では、いささか胸焼けしてしまいますし、永続性にも疑問が残ります。
「特段不満無く、毎度この店を利用している」という無自覚な習慣、言うなれば『毎度🖐️』こそが、「買い手としての私たち」の、その店への「満足」という認知、「気安さ」という体験価値ではないでしょうか?
世間では「CS向上策」のように難しく語られがちですが、それは何も特殊なものではありません。
どんな「飛び道具」よりもまず、私の「欲しいものが揃っていて、見つけやすく、適切な価格で売られている」という、私にとって「良い店」という認知。
この当たり前こそが、無自覚でサイレントな「顧客満足(CS)」に他なりません。
※.その意味では、如何にマスな顧客の「認知」を定常的に、さり気なくハックし続けるかが、私たち商人にとって第一の介在余地、謀(はかりごと)であり、腕の見せ所です。 私たちの自我(エゴ)はガンコ親父のように堅固でも、その「認知」はガンコ親父同様(?)、案外いい加減なのですw
顧客満足(CS)の結果が「売上」であり、その根源が「ID数(顧客数)」であるならば、結局のところID-POS分析は―
「ID数を見るだけのもの?POS分析で充分では?」
と思われるかもしれません。
その疑問が「案外簡単?」という認知故のものであれば、本稿のここまでの目論見としては「成功」と言えます。
さて、それではなぜ本稿ではここまで長々と、それを語る必要があったのでしょうか?
それは本稿が、POS分析で慣れ親しんだ「MD/販促」とも、ID-POS分析で一般的な「CRM」「FSP」とも異なるからです。
それは、顧客との調和の方法=「マーケティング」という「全く新しいパラダイム」による、顧客にとっての優良店 = 繁盛店への誘いだからです。
※.こう見ると「当たり前」に思われるでしょうが......
パラダイムシフトは、決して一気には起こりません。ヒトの自我(エゴ)は、顧客同様その認知をなかなか変えないからです。一段一段ゆっくり昇って行く必要がある。
一段一段積み上げ、踏み固めて来たからこそ、ここまでの論を、階段のようにシンプルに振り返り、いよいよ「繁盛店への第一段」へと論を進めることができます。
その前にまずは私たちのこれまでの、仕え様に対する「問題の本質」3つを整理しておきます。
問題の本質はー
【問題の本質1】
状況も価値観も人それぞれであるにも関わらず、POSにしろID-POSにしろ、方程式一本で立ち向かおうとしていること
= 対応する店内状況が一つ(顧客:店内状況 = 多:1)しかない事。
一方でー
【問題の本質2】
ID数というものを単純な「束」としては扱えない
= 方程式(顧客、売り場)を「3種の顧客用」のように、単純にスライスする事はできない事。
【問題の本質3】
顧客を全体で一つの「束」としてしか扱って来なかった試験の結果が、現在の顧客満足度である
⇨ 変化させる余地は充分にあるが、その「やり方」が分からない事。
の3点にあります。
さて、それでは本稿を振り返り、「繁盛店」のヒントへとつなげて行きましょう。
ID数(顧客数)は私たちの「売上」を決定している個々の意思決定主体の束。
⇨【繁盛店への全く新しい考え方のはじまり】
意思決定主体に、束になって私たちの店の利用を、自律的、定常的に「決めてもらう」為にはどうしたら良いか?
個々の顧客を取り巻く状況と価値観は多様であり、それは私たちの「関心の輪(イマジナリー)」の中にしかない。
【ヒント1】個として扱っても仕え様がない
【ヒント2】だからと言って他人と同じ、たった一つのセグメント(束)に収納できるようなタマじゃない
⇨ 複数のセグメント(束)の中に居たって良いじゃないか!
小分けの魚とビッグパックの肉を「併買」するような複雑な人間だもの
(わがままな「ヒト」をモノ同様、単一分類内に「キッチリ収納しなければならない」というパラダイムの破棄)
私たちの「影響の輪(リアリティー)」の中にある介在余地は、
「ヒト」のコントロールでは無く、「モノ(店内状況)」のコントロール
多様な「顧客ニーズ」との「調和」にある。
【ヒント3】コントロール可能な「モノ」に、不可能な「ヒト」を繋げる必要性がある
【ヒント4】状況と価値観はバラバラでも ―
「小分けの魚を選択した/しなかった」「ビッグパックの肉を選択した/しなかった」という
「ニーズ」の有無、すなわち現実的接点の有無において、
顧客を複数の「モノ」の中に位置づけることならできる
【ヒント5】顧客にとって買い物は「点」では無く、空間(バスケット)の面でも、時間(くらし)の面でも、
「ネットワーク(併買)」であるというマクロな視点が必要
ならば、その「選択した/しなかった」=「併買/非併買」という顧客の選択行動のネットワークを、個(バイネーム)に拘る事なく、行動のボリューム(併買ID数)で類型化してやれば―
逆に私たちがコントロール可能な「モノ」を、顧客ニーズという束にセグメントすることができる。
これが本稿第一段の「結論」です。
この発想の大転換を、シンプルに2つにまとめれば ー
【発想の大転換1】
「ヒトを分ける」 or 「モノを分ける」
⇨『 ヒトのニーズで、モノを分ける』
【発想の大転換2】
「ランクに応じて※」、「ヒト or モノをコントロールする」
(※.基本は売れ筋か否か:ヒト = デシルランク、RFMランク等、モノ = 売上ランク、ABCランク等。いずれもケースバイケースの運用で、相互にリンクしない。)
⇨『 顧客ニーズに応じて※』、『モノをコントロールする』
(※.相容れないニーズか否か、経済合理的な(売り手の都合にも適った)ニーズか否か、のみに則る。ヒトとモノが相互に論理的にリンクする。)
この発想の大転換は、品揃え、欠品、陳列、鮮度、品質、価格といった私たちのすべての政策の「考え方」「やり方」に関わって来ます。
またケースバイケース(部分最適)では無く、統合された単一の発想(全体最適)であるが故に、今までの意思決定を「全てシフト」してしまうものです。
時空を跨いだ併買/非併買という意思決定主体の意思表示は、「ID」無しに知ることはできません。
繁盛店になる為に、IDが重要極まりない理由は、「IDを分けられる」事ではなく、『IDで、商品を分けられる』事にあるのです。
実のところ私たちは「勘と経験では」顧客ニーズの多様性も、それを重視すべき事も、とうの昔から知っていました。
そう思われませんか?
でなければ、どこのスーパーにおいても、豆腐や納豆の売り場に、なぜ「あれほどの品揃え」が、当然の如くされているのでしょうか?
POSデータが何と言おうが、それが「譲れない」人たちが居る事、その人たちの「来店そのもの」に関わる可能性がある事を、私たちが「感覚的には」理解し、それを守り続けて来たからではないでしょうか?
だとするならば、私たちの商いにこれまで決定的に欠けていたピース、それはー
何故、私たちは売れていない商品を置くのか?
現に顧客の「譲れない/来店そのもの」に関わっている可能性の高い商品はどれか?
結果的に本来、「どれほど」の品揃えが必要なのか?
といった、 POS分析の科学では説明つかずのまま放置され続け、私たちの「感覚」に押しつけられ続けて来た、「顧客満足(CS)」に関わる事ども。それらの、真に「科学的」な裏付けと決着。
すなわち私たちの「勘と経験」上は確かに存在している筈の、顧客ニーズをデータで可視化し、その妥当性を検証し、私たちの売上(顧客満足)に、定常的に活かすための「やり方」なのです。
当の不完全で無責任な科学から、「科学的ではない」「廃すべき」と虐げられ続けながらも、顧客の利を守り続けて来た「勘と経験」。
けれどもデータ同様、決して「完全」とは言えない、私たちの「勘と経験」。
その「勘と経験」に、「データ」が寄り添う時......
顧客への慮(おもんばか)りである「勘と経験」と、顧客からの試験結果である「データ」の「調和」の瞬間が、ID-POSによって遂にもたらされるのです。
現場で踏ん張ってきた私たち商人への、最高の「福音」じゃあないっすか!?w
第二段では、その「やり方」、すなわち真のID-POS活用へと踏み込んでいくつもりです。
(「繁盛店への第二段」に続く)