やりがいのない「忙しさ」を捨て、「商い」の調和を生む
目次以降の表面文字数7,248文字。AIによる予測読了時間は約15分です。果たして「予測」通りに行きますやら?w
AI Verified@2026:本稿はAIによる論理検証を得ています。
予測、推論に対して「100%正確じゃないと!」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
それでは「予測」では無く「予知」になってしまいます。
予測は文字通り「予め測っておく」こと、予知は「予め知っている」ことです。
予測の究極が予知。
そんな風に考えられる方もいらっしゃるかと思います。
さて、あなたが未来に行き、予め「カツオの刺身」が8個売れ、2個廃棄になったのを見たとします。
現代に戻ったあなたは2個をロスしないよう「8個しか生産しない」事に決めますか?
10個置かれていたからこそ8個売れたのかもしれないのです。
その10個の陳列は、あなたの「予測」の賜物です。
それが「8個しか生産しない」という行動を起こした途端、未来はあなたの見て来た未来「10個置かれていた未来」から、「8個置かれている『未知』の未来」へと変わってしまいます(「観測者効果」と言います)。
「8個置かれている『未知』の未来」では、何個が売れ、何個が廃棄になるのでしょうか?
「予知」はそれを傍観し続けない限り、「100%正確」にはならないのです。
「100%正確とは何なのか?」「誰ぞ知る?」です。
発注も同様です。多目に発注したからこそ売れたかもしれず、ピッタリ発注したからこそチャンスロスに見えたのかもしれないのです。
ですから、予知は予測の究極ではありません。
そもそも現代物理の事象の地平線を超えた「予知」に関心を払うことよりも、あなたが予め測っておくべきこと=予測という「商いの理(現代商理)」の創造こそが重要なのです。
商人としては「測る」より「謀る」。「予め謀っておくこと」「予謀(ヨボウ)」が正解なのかもしれません。
さて、予測の最たるものが単品の「売れ数予測」では無いでしょうか?
従来の予測は、単純に言ってしまえば統計から「売れ数 = ax + b」のような固定式を導き出し、与えたx(例えば売価)に応じた売れ数を導き出すものでした。
それがAIの時代になり、AIが実績を元に常に「式そのもの」を書き換えるような動きをしてくれるようになりました。
どのように動くかと言えば、予測値と正解(実績値)の間の偏差(ブレ)が常に最小になるように「式そのもの」を書き換える形で動きます(これを「学習」と言います)。
実際の式は商品毎にまちまちですので、「売れ数 = ax_1 + bx_2 + cx_3 + d(重回帰分析)」であったり、「売れ数 = ax^2 + bx + c(多項式近似)」であったり、「売れ数 = a log(x) + b(対数近似)」であったりします。
更には商品や季節等に応じて、ここにあげた係数(a,b,c,d)も変化して行きます。
これを実際に行うのは、とても「人間業」ではありません。
「人間業」でない事から、統計において私たちは、認知が困難な多くのx(気温、湿度、降水量等)を端折って予測を行って来ました。
これもAIであれば、苦も無く計算できてしまいます。
ですから予測は、間違いなくAIに頼るべきです。
このようにAIは素晴らしいものなのですが、現実には「バカ真面目な計算機」です。
ここではAIを極めて優秀な「シェフ」、人間が与える変数x(売価等)を「食材」、予測値を「料理」に例えてみましょう。
例えば人間が「究極のクリームシチューを作れ」と命じて食材xを与えたとします。
x_1=シチューミクス、x_2=水、x_3=鶏肉、x_4=人参、x_5=じゃがいも だったとしても、AIは「ローリエも入れた方が美味いですよ!」とは言ってくれません。「鶏肉と人参、じゃがいもは予めオリーブオイルで炒めて......」とも言ってくれません。
真面目に、ある食材の配分だけを調整し「究極のクリームシチュー」を作ろうとします。
売れ数予測で言えば、本来PI値と客数は個別に予測してから「売れ数」という予測値を完成させるべきなのですが、「『売れ数』を予測せよ」と材料を与えられれば、その中で最善を尽くそうとします。
それが不安になった人間が「キッチンスタジアムのように予め何でもかんでも与えておけ!」とするとどうなるか?
そもそも「これらを使って究極のクリームシチューを作れ」という命令である為、それを真に受けて与えられた材料xはすべて使おうとします。
前出の材料に x_6=トマト缶、x_7=佃煮海苔、x_8=サバ水煮缶 を与えれば、少しづつではあってもそれらを使った「究極のクリームシチュー」を作ろうとします。
また、例えば先程のx_3=鶏肉 を、x_3_1=むね肉、x_3_2=もも肉、x_3_3=手羽、x_3_4=ガラ、x_3_5=レバー のように分割して与えれえば、それも命令ですから「意味のあるもの」と見做して全部使おうとします。
要は食材を増やし、その粒度を細かくする程にアテンションが分散する訳です。
その結果、最もアテンションを払うべきx_1=シチューミクスの配分がどんどん薄くなり、人間が思う「究極のクリームシチュー」とは程遠いものになって行きます。けれどもそれは、命令の範囲内で「究極」ではある筈なのです。
「どうすればこんなシチューが出来るんだ!?」
そもそも人間が認知できない事を相手にやらせようとしているのですから、食材が多ければ多い程、「彼がどの食材とどの食材に特段のアテンションを払って、それを作ったのか?」人間がそれを認知する事は困難です。
しかも20,000SKUあれば2万皿分の、それぞれに趣向を凝らした料理ができあがるのです。
売れ数予測で言えば、1日という時系列の売れ数サマリーを予測するのに、時間で分割された降水量や気温、TV放送の有無等を20,000SKUすべてに山程与えた結果、誤差原因が分からず、カオスが巻き起こっているようなものです。
このように、売れ数予測の実践におけるAI※とは、「与えられた材料に応じて、究極の配分を導き出すシェフ」です。
極論、シチューミクスを与え忘れてすら、「良かれ」と水、鶏肉、人参、じゃがいも だけから「クリームシチューらしきもの」を作り出して来ます。
当然AIですから「鶏肉と野菜類は予めオリーブオイルで炒めておいた方が良い気がするけどどう思う?」という問いや、「今ひとつ深みに欠けると思うんだけど、何かいい食材無い?」という問いには、それにはそれで答えてくれます。
これは「壁打ち相手としてのAI」※であり、AIの「使い分け」です。
※.双方とも入出力に数字/テキストの差があるだけで、「良かれ」と無理繰りにでも与えられた変数を使い、「必ず結果を返す」という点において、相違はありません。
「なんか知らんけど適当に推論しといて!」と認知をサボって丸投げすれば、「ではフォアグラペーストを入れてみては?」という答えはお財布の面で、「鶏を直前に活け締めした方が......」という答えは労力と継続性の面で私たちには受け容れられません。
お財布も、掛けられる労力もこちらの都合であり、それが与えられない限りAIの存ぜぬところなのです。
要は、AIに相談しつつも、食材と調理法は、それぞれ個別の都合をもった人間側が明確に指定すべきです。
標準化とは料理コンテストに出すような、一発勝負の「贅沢な究極のクリームシチュー」 では無く、「料理は引き算」※の言葉通り、毎日の「ほどほどのクリームシチュー」であるべきなのです。
※.シチューは洋食で足し算だろ!というツッコミはご容赦を。ここではAIに余計な変数(食材)を与え過ぎないという『和の心』が重要ですw
売れ数予測で言えば、前者が最高精度の追求であり、後者が経済合理性の追求です。
最高精度の追求は、終わりなき茨の道です。
「店の周辺道路で工事があった」それは売れ数(客数)に影響を及ぼしますが、その場所によってはプラスに振れも、マイナスに振れもします。人によってその影響度の判定も異なり、入力はやがておざなりになって行きます(ゴミからはゴミしか生まれない)。
コストを払って精緻な気象予測データを購入しても、それもまた「100%当たる」訳では無いのです(予測から予測を生む)。
「現に人手不足の現状において、自動発注の成功とは、曲がりなりにも現場が『発注をしなくなる』こと」
スーパーTのTさんの言葉が思い起こされます。
「妥協無く精緻を極める」一辺倒の自我(エゴ)でも、「コスト、労力、認知をサボる」一辺倒の自我(エゴ)でも無い、双方の自我(エゴ)の調和、積集合にこそ「各社それぞれの最適解」があるのです。
このようなAIの優位性、都合を一切「理解」しようともせずに、食材の吟味も、調理法の吟味もせず、こちらの都合だけを「丸投げ」し、「一体どうなってるんだ!」などというのは、明らかにAIという「相手」の都合に対する私たちの脳の認知のサボりです。
擬人化して言うならば、理解するつもりがないのであれば、せめてAIという「相手」に対して不遜で失敬な態度をとるべきではありません。
例えば売れ数を、日々ではなく一週間で予測すれば、ポイントデー等の売り手の恣意性によって変動する日〜月という変数が不要となり、日の予測の和よりも精度が高くなります。
個店毎ではなく全店で予測すれば、個店毎に晒されているイレギュラーな状況を伝える変数が不要となり、個店毎の予測の和よりも精度が高くなります。
イレギュラーをあくまでもイレギュラーとして処理※すれば、係数とアテンションは安定します。
これらは統計的事実です(「大数の法則」と言います)。
※.現場の皆様はスルーで結構です。システム的な話で言えば、予測値と実績値の誤差実績の%を学習データに与え、予測時には0%で与える等。
そうであるならば、私たちの都合、すなわち運用自体を(DCや棚割を駆使して)これに寄り添わせ、調和させるという手もある筈なのです。
それは私たちとAIの両者にとってご機嫌な「得(Win-Win)」となりますし、何より「真似がしにくい 」= 競争力となります。
その意味では、予測とは―
「計算は、それが得意なAIに任せる」
「任せたからには多少欠品しようが、多少在庫がダブつこうが、ジタバタしない」
「これが最も経済合理的である」
と予め測って(諮って)おく事、
「DCと棚割りでそのブレを極力吸収する」
と予め測って(諮って)おく事、すなわち私たちの「商い」「システム設計」そのものなのです。
それを手放し、自分の都合はそのまま押し通し、相手にだけ押し付ける。
これは私たちの日常によく見られる光景です。
それは「相手」への接し方という私たちの日頃からの「習慣」ですから、何もAIという機械相手に限定したものではありません。
全ての相手、すなわち取引先に対しても、部下に対しても、顧客に対しても、ベースには同じ姿勢、習慣があるのでは無いでしょうか?
「なんで上手く行かないんだ!なんとかしろ!」
失敗の方針を作っている張本人ほどそれを認知できない為、そう言うのです。(アンフェア)
その方針が私たちの「調和」という真の経済合理性を、尽く阻害している事。
それをここまで書かせていただいた「当たり前」の中から、読み解いていただけましたら幸いです。
さて、「究極のシチュー」にせよ「ほどほどのシチュー」にせよ、その「シチュー」が「明日この商品は100個売れます!」と「正確な」予測を出したとします。
その時、その商品は売り場に置けますか?
その商品が1フェーシングだったとして、現場の品出しの頻度、バックルームはどうなりますか?
また「なんとかしろ!」ですか?これも等しく現場という「相手」の都合に対する認知のサボりです。
要は本来「売れ数予測」を受け容れる事のできる「棚割」をこそ、予め測って(諮って)おく必要があるのです。
かと言って、奥行5個の20フェーシングで棚割を作りますか?
売り場は倉庫では無く、プレゼンテーションスペースです。
一般的に催事売り場でも無い限り、5フェーシングを超えた商品は、顧客には背景化(ゲシュタルト崩壊)してしまい、認知から外れる上、他の顧客に必要な品揃えを棚落ちさせます。
これも顧客という「相手」の都合(認知限界)に対する認知のサボりです。
5フェーシングを上限とするならば、奥行5個として余った75個の商品は、バックルームまたはDC(クイックリードタイム前提)へと畳み込まれなくてはなりません。
極論、売れ数予測と実績値との差は、棚割と物流の拙さを浮き彫りにするもの、現場のカオスを浮き彫りにするものです。
それら(運用を含めたトータルのシステム設計)が、予め測られて(謀られて)さえいれば、自動発注は棚を、あるいはDCを、計画通りに埋めるものでありさえすれば良いはずです。
これは理想論が過ぎるかもしれませんが、要は「AIの都合」、「顧客の都合」に「現場も含めた私たちの都合」を寄り添わせた「三方良し」を作り出す為の「鍵」は、他でもない私たちが握っているのです。
脳の認知をサボっている場合ではありません。
そんなことにすら、私たちの認知はなかなか及ばないのです。
それにも関わらず、この「全て過去の物語」である物理世界において、「データは過去に過ぎない」と当然の事を、臆面も無く言い放つ人達が居ます。
まあ、言いたくなる気持ちも分かります。
光よりも早いことを前提とした「予知」ですら「当たらない」のですから。
この発言は主に「勘と経験を廃して」という、決して手放してはならないものをゼロにしようと、臆面も無く言い放つ人達へのカウンター的な側面が強いでしょう。
「当たらない」にも関わらず、今も店舗運営が人知れず「なんとかなっている」のは何故か?
それは「勘と経験」によってです。
「本部棚割りで1フェースの商品が明日100個売れるだって!?置く場所無いっすよ!」
「じゃあ、大して売れてない提案エンドの前に、ボールカットのまんま、ガンと積んじゃおうぜ!もしも当たったら儲けもんじゃん!」
「売れ残ったらどうするんすか!?」
「 『AIの反乱。助けてください!数量限定198円』ってPOP作って、見切って売り切っちまえばいいのさw」
経験は、「自分の都合以外も知っている」学習データに他ならず、勘はそれをベースとした(AIのようにブラックボックスな)予測値であるのです。
まあ、それも言うまでもなく「過去に過ぎない」ですし、「当たる」とは限らないので、各二元論の信奉者たちは、無自覚な自己矛盾に陥っています。
科学とは、データとは、私たちを対立させる為にあるのでは無く、あくまでも私たちを幸せにするよう利用されるべきものです。
それに則って再定義するならば、どちらのデータも私たちを背後(過去)から照らす薄明かりです。
それが無くては、暗闇の荒野に一人立ち尽くす私たちには、足元すら見えません。
けれどもそれはあくまでも「薄明かり」に過ぎないのです。
不確定な未来、そして「相手」への恐れ、すなわち私たちの「弱さ」は、私たちに認知をサボらせ、その道の先に予知の光の存在を望みますが、それはイマジナリーの世界、蜃気楼のようなものです。
リアリティーの世界で地に足を付け、
薄明かり(予測)を頼りに、予め諮り、覚悟を持って道を切り拓いて行く、
成功の喜びも、失敗の痛みも、共に受け止め続けて行く
それが私たちの仕事、商売です。
ここまでお読みいただいて、まさかとは思いますが念の為......
私自身AIのヘビーユーザーです。
私という人間の自我(エゴ)の弱さは、どこまで行っても常に「認知のサボり」や「アンフェア」を孕んでいます。
それをAIの平均的視座と論理、それらを支える圧倒的計算能力で査読、指摘してもらわねば、とてもみなさまに論を提示するなんて事はできません(特にAIを知った今ではw)。
一方で、AIが素で導き出して来るような「平均」は、現状の「肯定」であり、誰でも手に入れられるものです。
とても「競争力」を導き出せるようなものではありません。
だからこそ、「完全」では無い者同士が共に手を携え、「調和」の積集合を探し続ける意味があるのです。
よって、私はAIの利用を大いに推奨しますし、自動発注をやるならAI自動発注であるべきと考えています。
過去からの薄明かりだろうが何だろうが、私たちの道程において、明かりはなるべく明るく、なるべく多い方が良いのです。
要は、本来不可避であり、メリットでもある筈の「摩擦」を一切避けた、「使い方」に疑義を呈しているだけであって、それが余りにも「相手」全般の「使い方」の相似形である事に気付き、筆を執った次第です。
とかなんとか言いつつ......
本稿を書いたのは、「「適正フェイシング数」から始まる棚割新理論 」という私が諮った棚割(論)が、予測通りには埋まっていないからであり、「物流はID-POSでどう変わる!? 」という私が諮ったDC(論)が、やはり予測通りには埋まっていない事に業を煮やした為ですw
今をときめき話題をさらっている「AI自動発注」の「先に立つべき論」であるにも関わらず、一向にときめかない事、話題にものぼらない事への嫉妬でもありますw
「薄明かり」ではありますが、これら2つの論を、どうか皆さまのお足元を照らすお役に立てて頂けましたら幸いです(薄明かりの割りには発電量(文字数)が凄まじいので、お気をつけくださいw)
かちょー は不正確な場合があります。回答はAIに再確認してください。