やりがいのない「忙しさ」を捨て、「商い」に調和を生む
問題、対立。それは私たちの多くにとって、人生最大の苦痛です。
本稿で解説する「ベン図」が、あらゆる対立の局面で、あなたの身を助けます。
故エリヤフ・ゴールドラット博士のベストセラー「ザ・ゴール」は、企業の究極の目的が「今日から将来にわたってお金を儲け続けること」にあることを提示するとともに、それを阻む制約条件(物理制約)の活用ステップ(PDCA)を示す、「生産性の定義と科学」に関するお話でした。
一方で制約条件(物理制約)を見つけるにしろ、活用するにしろ、一々それを阻むのが、私たち人間のエゴに基づく「仮定の誤り」です。
続編「ザ・ゴール2(邦題)」は、この物理制約の裏に隠された人間のバグ、真の制約条件(方針制約)を解消するための「思考プロセス」に関するお話でした。物理学者であるゴールドラット博士の執拗さ、ロジックの周到さには舌を巻きます。
これを読んだ時、「へぇ〜!人間の思考や行動もコンピューターのように『IF-THEN-ELSE』のロジックに当てはめれば、バグが出ないようにできるんだ!」と感心してしまったことを今でも覚えています。
私たちも、自分自身の思考や行動、所属する組織の思考や行動を、バグ無く、快適・円滑に動き続ける(儲け続ける)ものにしたいですよね!?
それこそが「生産性」なんですから。
ところがこの「思考プロセス」を、人間の認知限界、認知のサボり癖という物理制約の中、本当に使いこなせる人は、ごく少数の限られた人だと言わざるを得ません。
現実問題、中核となる真の問題をあぶり出すための「現状問題構造ツリー」を私が使えば、ツリーは際限無く広がり、模造紙と付箋紙が足りなくなってしまいます。
慌てて文房具屋へと走り、それを継ぎ足していったとしても、迷路のように広がり続けるツリーは、すぐに私の認知限界を超え、私にその全貌を見失わせます。
筆者がパワポで作成した実際の「現状問題構造ツリー」。読めませんorz
そして、何とかあぶり出した中核問題を解消するための、最もシンプルな「対立解消図」ですら壁にぶつかります。
いざ誰かに説明しようと見せる段になると、論理的依存関係を表すフローが、人間の感覚と乖離してしまうためでしょうか?せっかく見つけた中核問題を、「自分事」では無く「他人事」のように相手にスルーさせてしまうのです。
「対立解消図」。過去記事「マーケティングとは「買い手が喜ぶ事をし、嫌がる事を避ける」事と見つけたり 」より転載。
その先にも「未来問題構造ツリー」や「前提条件ツリー」、「移行ツリー」といった思考プロセスのツリー群がありますが、これらは正直「触ってみた」くらいで、すべてのツリーをシステマチックに、通しで使ったことは、一度もありません。脳がスタミナ切れ(サボり)を起こしてしまうのです。
論理的には完璧でも、ゴールドラット博士クラスの天才でもなければ、「福音」とはなり得ないのです。
AIがこの世に出てきた時、「思考プロセス」は、意を決してツリーを書かずとも、完璧とは言わないまでも「AIとの対話の中に都度求められる」ものと安堵もし、希望も感じたものです。
しかしAIの時代だからこそ尚更、少なくとも「問題の芯」については、他人事やAI事では無く、「自分事」として押さえておく必要性を、痛烈に感じています。
例えば昨今の「AIとヒトの対立」という論調は、畢竟「AIを利用/普及したい人」と「AIから守りたいものがある人」の対立という、ヒトとヒトとの問題です。
「クマとヒトの対立」という論調も同様に、「クマを駆除すべきという人」と「クマを守るべきという人」の対立という、ヒトとヒトとの問題です。
このように突き詰めてみれば、問題も対立も、ヒトとヒトとの間でしか起こり得ず、であるならばその解消も「ヒトによるヒトのためのもの」だからです。
他人はどうあれ、当人同士は真剣だからこそ「問題」であり、「対立」です。
「問題の芯」は「心の芯」すなわち「エゴ」同士の対立でもあります。
問題、対立を前にしたとき、私たちは相手のエゴは勿論、自分のエゴとも対峙しています。だからこその「自分事」なのです。
その意味で「問題」とされるものは、常に「対立」として表すことができ、「対立」は常に「自分のエゴ」と「相手のエゴ」の対立で表すことができます。
さて、「対立解消図」はその名の通り、その「対立」こそが相互の誤った意思決定のあらわれ = 本質的な問題解消への糸口だとするものでした(エゴが間違っているのでは無く、意思決定とそこに至る仮定に誤りがある)。
今回は、働く仲間が行き詰まった時、文系の人であっても論理思考をお気楽に使い、問題を解消できるものにしたいと思います。
「民主化」とまでは行かないですし、論理的堅牢性では「対立解消図」に劣るものの、対立を「当事者同士の『エゴ』と、その『重なり』」として表現することで、「自分事」として、感情移入しながら対立の解消を図る事のできる、温故知新の思考プロセス「ベン図※」のご紹介です。
※.ちなみに「ベン」とは、考案者John Venn博士の名前に由来します。
目次以降の表面文字数10,663文字。推論読了時間は約21分です。
AI Verified@2026:本稿はAIによる論理的堅牢性とフェアネス、認知流暢性の検証を得ています。
ベン図。私より前の世代では小4の「算数」で習ったらしいのですが、私の場合高1の「数Ⅰ」で習っています。
「数学苦手!」という方は多いでしょう。何を隠そう私も「こんなもん何の役に立つんだ?」と思いながら、授業を受けていたクチです。
そこでここでは、その基礎の一部復習と共に、それに合わせた「思考モデルとしてのベン図」における解釈を、()書きで示してみます。
「問題や対立は何故起きるのか?」雲が晴れるように見えてくるのではないでしょうか?
私のエゴだけ(左の差集合)を通そうとしたり、相手のエゴだけ(右の差集合)を通そうとしたりするから。そう!お互いの円が重なり合わない、自分だけに「有利と仮定した」方針を通そうとするからです。
あるいはそれを通すために、ベン図(お互いのエゴ)の全体像を見つめ直すことをせずに、当事者同士のエゴとは無関係な、外的環境や一般論といった、自分のエゴを強化する「言い訳やうんちく(補集合)」を持ちだして、相手を煙に巻こうとするから、話は余計にややこしくなります(無自覚なアンフェア)。
以下はベン図の数学的構造の補足です。引っ掛かりのない方は、次の章へ進んでいただいて構いません。
・差集合同士の和 = 対称差
・対称差+積集合 = 和集合
・和集合+補集合 = 全体集合/普遍集合
思考プロセスとしてのベン図には、難解な論理構造をショートカットしつつ、問題=対立を解消するための「ルール」として、故スティーブン・R・コヴィー博士のベストセラー「7つの習慣」から、2つの「原則」を拝借しています。
コヴィー博士のまとめた「原則」とは、自然科学(例えば万有引力の法則)に相当するほどに、長い人類の歴史の中で実践・証明され続けてきた、人間社会に働く「変えることのできない原理、法則」のことを指します。
「変えることのできない原理、法則」に立ち向かうのは、電柱に向かって「お前がどけ!」と酔っ払いが突っ込んでいくようなもので、やる前から結果は見えています。
またこれは、「こうすれば、必ずこうなる」という、人間社会というゲーム盤における「ルール」のようなものでもあります。
原則(電柱)を動かすことはできませんし、原則(ルール)に反して勝ち筋はありません。
変えることができるのは、原則に対する自分たちの「出方(方針)」だけです。
ベン図に適用する1つ目の原則で、「『両勝ち』さもなくば『取引なし』」の意味です。
一方あるいは両方が「Lose(譲歩や妥協)」というバグを抱え込み続けていては、それは対立の「解消」とは言えません。
また、「今日から将来にわたってお金を儲け続ける」のように、刹那ではなく「続ける」ことを考えれば、それが長く「続く」道理もありません。
離職率の高い組織には、今もWin-Lose(逃げと妥協)の価値観が蔓延り続けており、それが離職率 = No Dealの選択率にあらわれています。これは「組織としての複利」というWinを逃し続けていることでもあります。
よくよく思考してみれば、「両勝ち」だけが「解消」の答えとなるのは明白です。
もしも「そんなの理想論だ!」「それが難しいから聞いてるんじゃないか!」とおっしゃるのであれば、あなたのエゴは結局のところ、ヒトとしての思考をサボり、手っ取り早い支配(Win-Lose)のハウツーを求める「支配的エゴ」に属しています。
「両勝ち以外は捨てる」それだけでも、こと「思考のサボり」に関しては、今後随分とショートカットができるじゃあありませんか!?
エゴもサボりも別に「悪いこと」ではありません。どちらも原則同様に、ただ「そうだ」というだけのものです。
それをしっかりと認知できれば、「両勝ち」だけが、自分のエゴを充足させてくれるという原則も認知できます。
そうなれば、「両勝ち」の原則に向けて、エゴをエネルギーとしてどう効率的に使うか?が重要です。
・対立の「摩擦」を恐れず、両者のエゴの関係を、両の眼でしっかりと見据えること。
・「摩擦」を避け、力で抑え込む/妥協してやり過ごす という安易な選択肢からの誘惑を退けること。
好もうと好まざるとに関わらず、物理法則同様「摩擦」は常に存在しています。
「摩擦力」があるからこそ、そしてその強いあらわれである「対立」があるからこそ、すべての物事に、横滑りせずに「前へと進められる機会」と、「確かな手応え」があるのです。
2つ目の原則は「影響の輪」、「関心の輪」です。
天候や政治、経済を恨んでも何にもなりません。それは私たちが「関心」はあっても、「支配」することのできない「外的環境」だからです。前章に重ね合わせれば、支配するでも、されるでもない「No Deal」な態度を取るべき対象です。
一方でそれと同様に、「相手」も何ら変わることのない「外的環境」の一部のはずなのですが、何故か私たちは「相手を変えられる」「(自分ではなく)相手が変わるべき」という幻想を抱きがちです。
この幻想は、前章でも述べた思考のサボりであり、「Win-Lose」という単純かつ支配的なエゴのあらわれです。
私たちがこのような幻想を抱くのは、天候や政治・経済とは違い、なまじお互いのベン図上の重なりが「ゼロではない」ことに起因しています。お互いの重なりが少しでもあるからこそ摩擦(対立)が生まれます。完全にゼロであればそもそも問題は起きません。
支配しようと思えば支配できる(影響を及ぼせる)のは、言うまでもなく自分だけです。これを「影響の輪」と言います。
一方で、支配したくてしたくてしょうがない(高い関心が執心に変わる)が、畢竟支配できない対象の事を「関心の輪」と言います。これには、例えば恋人とか子どもとか部下のような存在を、想像していただければ良いかと思います。
この図は同時に、「自分のことにはわりと無関心」であること、すなわち私たちが「メタ認知」に欠けていることも示唆しています。
件のコヴィー博士は、自分の「影響の輪」にこそ自分の関心を重ね、自らの成長に執心することこそが、その影響力を高め、結果として相手の関心を惹きつけることにも繋がると説いています(図の右の円が、質量を高めた左の円に引かれて行くさま、もしくは図の左の円が(主に右方向へと)成長・拡大して行くさまを思い浮かべてみてください)。
「関心の輪」に執心することは、自らへの関心(メタ認知・成長)の欠如を棚に上げ、相手にレッテルを貼り、相手の成長という不確実性に気を揉むことです。
不確実性への期待や執心、いわば「願掛け」をビジネスとは言えませんし、自分すら「完全支配」することが不可能な人間が、いわんや相手をやです。
ちなみにこのベン図のようなものを「書く必要がない」と考えるのも、人間の「認知限界」という性能をメタに認知できていない、思考のサボりそのものです。
ここまでの原則を、ベン図上で思考する際のルールとして整理すると、以下のようになります。
思考のルール1(Win-Win): 「両勝ち」以外は論外。
思考のルール2(影響の輪): 相手は変えられない。
では、この2つのルールをベン図上に重ね合わせると、どうなるでしょうか?
これら2つのルールが腹落ちできたならば(その「腹落ち」が、エゴにとっては一番難しい「思考」かもしれませんが)、思考プロセスとしてのベン図のルールは、以下のようにまとめられます。
身も蓋もない話ですが、私の「影響の輪」の支配下にあり、かつ問題解消の役にも立つ「報われる努力」は、結局のところWin-Win(積集合)にしか無い。Win-Win(積集合)以外、いずれも非生産的だというのがルールです。
この積集合を「相乗効果領域」と呼ぶことにしましょう(「相乗効果の輪」と呼びたいところですが、残念ながら「輪」じゃないのでorz)。
「狭くてしょぼい領域だな……」と思われましたか?もう一度、図を見返してみてください。
そこは、私のWinと相手のWinの積集合であり、私の影響の輪と相手の影響の輪の積集合、私の関心と相手の関心の積集合でもあります。いわば矛盾なく幾重にも重なった「奇跡」のような領域です。
そこだけは共に勝ちを望む「自分事」であり、互いの勝ちを望みあえる「自分事」です。
積集合の「積(かけ算)」の文字通り、単純な一人の「影響」をはるかに超えた複利、「相乗効果」が期待できます。
敢えて感情を捨てて言うならば ー
原理的に生身の身体を持つ人間は、感情的に「分かり合えない」存在です。
けれども時として関心が重なる個体同士がある。だからこそ摩擦、対立が生まれます。
往々にして対立が、組織内や同好の士の間でこそ激化しやすいのはこのため(無関心ではいられないエゴから)です。
関心、影響、勝利条件、それらが「感情」ではなく「条件」として重なるのであれば、それを活かし他を切り捨てる。それが科学でありビジネスです※。
※.Win-Win or No Dealの原則は、「自我(エゴ)を打ち負かす事(勝ち負けごとき)で、決して自我(エゴ)を殺してはならない」という倫理に基づいています。
ベン図という思考プロセスのルールが分かったところで、次はその具体的な書き方を示していきます。
ベン図にはまず、対立する2つのエゴを書き出し、次いでその下に、その発露である具体例を書いていきます。
本来対立する双方が「相手のエゴ」を具体的にあげつらっていくことが、お互いの「得意分野」であり、進め方として「フェア」でもあるのですが―
例えば多勢である「買い手」と無勢である「売り手」が一堂に会することは物理的にできませんし、労使(特に労)が「相手のエゴ」をあげつらっていく姿も、残念ながら想像できません。
何より実務上で一番の問題は、この段階で収拾がつかなくなってしまうか、スルーされてしまうことです。
そこでここでは、コヴィー博士の「理解される前に理解する」の原則に従い、まず相手のエゴを充分に慮った上で、そのような機会がたとえ無かったとしても、相手に見せ、納得を得ることを前提としながら、具体例をフェアに書き出していきます(科学的には感情ではなく、相手の「条件」の理解)。
次いでそれに対応する「鏡像」として、自身のエゴの具体例をフェアに書き出して行きます。
多くの場合、私たちは相手を悪しざま(?)に見るのは得意でも、自分を悪しざま(?)に見ること(メタ認知)には慣れていません※。
けれどもそれが「鏡像」の形を成さなかった場合、相手はそれに対して「お互いさま」とは決して思わないでしょうし、そのベン図は間違っている(フェアネスを欠いている)ことになります。
※.メタ認知ができないと言うことは、相手に対する自分の認知も「怪しいもの」だと考えるべきです
実務的には相互が鏡像となるように、徐々に調整をしながら書いていきます。
エゴは、「エゴ = 状況 ✕ 価値観」という式で表すことができます。
対立は、互いの置かれた「状況の違い」、それが生みだす「価値観の違い」に起因するものと考えれば、相手のエゴと自分のエゴへの解像度が、より高まります。
例えば労使といった自明な状況の違いは、「決算数値」VS「顧客満足」といった、あたかも対立に見える優先順位(価値観)の違いを生みだしています。
これらはそれぞれが直面する「株式市場」、「現場」という異なる状況からの、プレッシャーや恐れに起因しています。
そこを、フェアに慮ることです。
当然「対立解消」ですから、最終的には相手による「査読」「納得」が必要です。
一方で先に挙げた「買い手」のような相手に「査読」をしてもらう事は不可能ですので、できれば第三者を交え、反論不可能な相手に対する、一層フェアな書き出しをしていくことです。
鏡像となっているか?フェアであるか?
現実問題これを私たちが、「自分の脳みそ」だけで検証しようとするのは、如何に論理的であろう、フェアであろうと心がけても、なかなかに難しいものがあります。なぜなら私たちは、「自己愛」を最優先とするよう作られているからです(「相手」もまた同様です)。
フェアネスの段階でつまずけば、せっかくあなたが脳のコストを払った思考が「自分の都合に偏った偽積集合」、すなわち「誰も納得してくれない机上の空論」となってしまいかねません。
だからこそ、ここは心理的安全の面から言っても、「純粋な論理」だけで「中立」に、あなたのエゴすら切り裂いてくれる第三者、AIに査読依頼をするのが「ベスト」です※。
もしかしたら「AIがなかった」ことこそが、これまでのすべての思考プロセス群における「最大のボトルネック」だったと言えるかもしれません。
※.人間もAIも、頼れる相棒ではありますが、「信頼」はまた別物です。「信頼していた友達に裏切られた」。思考をサボり、「関心の輪」に頼り切って信じれば、そう感じるであろう事は必然です。あくまでもあなたの思考の論理性を、あなた自身が腹落ちするための頼れる相棒とお考えください。
あなたは、当事者間の対立を中立な立場で紐解き、「両勝ち(Win-Win)」の糸口を見つける優秀なメディエーター(仲裁役)です。
これから、対立する2つの意見(エゴのあらわれ)をAとBとして提示します。以下のステップで査読とアドバイスをお願いします。
【査読のルール】
忖度なしの客観評価: どちらが依頼主かは一切考慮せず、中立な立場で判定してください。自己卑下への同調も不要です。
AIによる行間読み(ここが重要): 入力された表面的な「要求」や「言い分」の裏にある、それぞれの「どうしても譲れない事情(状況)」や「大切にしていること(価値観)」を、AIであるあなたが推測・補足しながら読み解いてください。
【出力ステップ】
① フェアネスの判定: AとBの主張は、立場を入れ替えても「お互いさま」と言えるような、フェアな鏡像(相似形)になっていますか?(%で評価し、理由を添えてください)
② 隠れたエゴと仮定の誤り: 鏡像を歪ませている「自分に都合の良い思い込み」や「無自覚な自己愛」があれば、両者に対して容赦なく(でも愛を持って)指摘してください。
③ 積集合(Win-Win)の提案: 両者の「本当の目的」を満たしつつ、対立を解消できる「相乗効果領域(積集合)」のアイデアや、そうなるための具体的なテキスト修正案を提示してください。
【対象データ】
意見A: [ここにAの言い分や要求を、箇条書きや思いつくままに記載]
意見B: [ここにBの言い分や要求を、箇条書きや思いつくままに記載]
AIが忖度無く、歯に衣着せずに返してくる査読結果に、あなたのエゴは傷つくことになるかもしれません。けれども相手がAIであれば、「誰にも知られず」傷つけるんですから、それは大した痛みではありません(安全)。
これは私の個人的実感でしかありませんが、実のところ傷つくこと、痛みを感じることで、はじめて私たちは自らの「仮定の誤り」に気づき、それが相手に与えていた「痛み」に気づきます。
それが「メタ認知」へと近づくために、避けては通れない道なのではないか?とすら考えています。
そしてそれこそが、このお気楽に見える思考プロセスの「真の難しさ」です。
本章の最後に元も子もないことを言ってしまえば、いかに論理を尽くそうが、AIの査読を通そうが、ヒトにもAIにも「完全」はないということです。
残念ながら(?)PDCAもまた普遍の真理です。
ここでは、実際にベン図を使った積集合の思考方法の例を2つ挙げさせていただきます。
基本的には、エゴのあらわれとして書き出した具体例の中から「仮定の誤り」を導き出し、そこから積集合にある筈の「解消方法」を思考して行くという流れとなります。
「思考」していただくことが大事ですし、多様な考え方こそがブレイクスルーの源ですので、ベン図に「答え」は書き出しませんが、思考の足掛かりとなるよう、私なりの「仮定の誤り」と、「積集合の思考例」を挙げてみます。
1つ目は、社外(市場)との対立の例です。
この場合、買い手が多勢な為、状況も価値観もバラバラで難しいのですが……
【売り手の仮定の誤り】
「関心の輪に働きかけられる」という、買い手の状況と価値観の度外視
(「買わせる/育てる」= Win-Loseな支配的エゴ)
【買い手の仮定の誤り】
売り手に「物理制約(売り場面積等)」があること、「経済合理性」があることの度外視
(お客さまは神さま? = Lose-Winな支配的エゴ)
【積集合の思考例】
・売り手の「影響の輪」の中に入っており、コントロール可能なモノは「商品」。
・買い手がそれを「手に取る」のは、それが「欲しいモノ」であったとき。
であるならば、買い手の「欲しいモノ」を理解し、それを自らの「売りたいモノ」に変換できれば良いということになります。
それらを全部揃えられれば、「もっと一杯買って欲しい」というエゴと、「一店舗で済ませられたら楽」というエゴが、自ずと「調和」することになりますので、何も相手を「育てる」などという考え方も、「お客の言うことが聞けないの?」などという考え方も不要となり、雲が晴れます。
【課題】
バラバラである買い手の「欲しいモノ」をどう理解し、経済合理性の範囲内で、限られた「物理制約(売り場面積など)」の中に収束させるか?「相互のエゴのバランス」が課題となります。
これについてはエゴ丸出しで気恥ずかしいのですが……売り手の「売りたい」である『併売』ではなく、買い手の「欲しい」である『併買』から積集合を見つけ出す、BiZOOPeに、よろしければお任せください。
さて、2つ目に挙げるのは、社内における対立の例です。
【標準化の仮定の誤り】
・属人性、突発性(ブレイクスルー)が無くとも「続く」という勘違い
・属人性は「廃す」べき
(「すべて従わせる」という、Win-Loseな支配的エゴ)
・「標準化」という手段の目的化
【属人化の仮定の誤り】
・高付加価値な人材とは?それこそ「楽」に「続く」に貢献できる人材なのでは?
・マニュアル、データ軽視
(自らのマニュアル(勘と経験)以外を軽んじる、Lose-Winな支配的エゴ)
・「属人性」という手段の目的化
【積集合の思考例】
単純に言えば、お互いに「儲け続ける」という唯一共有可能な「積集合(目的)」を認知した上で、どちらか片方を全肯定し、もう片方を全否定するような、「思考のサボり(支配的エゴ)」「手段の目的化」を廃し、建設的に両者の「良いとこ取り/悪いとこ捨て」を行えば良いと言うことになります。
その仕訳の方法は、これまた単純ですが ―
・「儲け続ける」ために必要のないことを「やめる」。
・「儲け続ける」ために必要で、労働者が「やりがいが無い」、「サボりたい」と思うことをこそ「標準化」する。
・「儲け続ける」ために必要で、労働者が「やりがいがある」、「やりたい」と思うことを奪わず、「属人性を発揮させる」。
という事になります。
【課題】
当然我々労働者も、その矜持にかけて、機械(平均値)超の「儲け」にコミットする必要があります。
採用と評価が、課題の一つとなるでしょう。
冒頭に、問題の解消とは「ヒトによるヒトのためのもの」と書きました。
仕事もこれと同じで、畢竟「ヒトによるヒトのためのもの」です。
ですから「ヒトによらないもの(標準化)」は、「ヒトによるもの(属人性)」をより良くするためのものであるべきですし、「ヒトによるもの(属人性)」も「ヒトによらないもの(標準化)」をより良くするためのものであるべき※です。
いずれにせよ、双方が共に「ヒトのためのもの」であるべきなのです。
※.属人性が競争力の邪魔になると思われている方、標準化できないと思われている方は、過去記事『AI店長を無料で作ってみよう!(『勘と経験』標準化のすゝめ) 』をご覧になってみてください。
「ヒトによるヒトのためのもの」この仮定が狂ったとき、冒頭で触れた昨今の「AIとヒトの対立」という論調、「AIに仕事を奪われる」は、その仮定の誤りの下、労使双方にとって妥当な帰結となります。
どうしても労働者が「コスト」にしか見えず、支配的エゴから抜け出せない使用者の下では、「AIに仕事を奪われる」は「正」となります。そのようなエゴは、文句を言わず、言いなりに働くAIを相手にする事を、お金儲けの論理以上に好むことでしょう。不幸にしてそんなパラダイム(Win-Lose)、差集合に執着を持つ会社に身を置く労働者のみなさんには、転職(No Deal)をおすすめします。
一方で「儲ける」というエゴも、市場に仕える矜持も持たず、そこにヒトならではの属人性も発揮しない、差集合に執着を持つ労働者(Lose-Win)が、「AIに仕事を奪われる(No Dealとされる)」のもまた、当然の帰結です。
どちらも冒頭の、AIやクマへの問題のすり替えと同様、何も「AIが仕事を奪う」わけでは無く、ヒトのエゴが仕事を奪い、ヒトが、そのエゴ故に仕事を奪われるというだけのことです。
いずれにせよ結局のところ、人間同士が原則(Win-Win)に従い、共に「儲ける」という「共有可能なエゴ(積集合)」に向かっていかなければ、積集合はもちろん、差集合である「私だけの勝ち」というエゴが、長く「続く」わけがありません。
エゴとは私たち人間を形成する自我そのものであり、不可侵で強烈な生命エネルギーそのものです。
だからこそ、そのベクトルを対立(論破)や逃避といった、望ましくない方向に向かわせるのは、エネルギーの無駄遣い、不毛な消耗でしかありません。
摩擦や対立は、本来「嫌なもの」「避けるべきもの」ではなく、あくまでもエゴのエネルギーのベクトルを整え、融合する「チャンス」のあらわれです。
エゴが内包する「莫大なエネルギー」。
素のままの自己愛を昇華する原則を見出し、論理思考、AIを生み出した「ヒトの知恵」。
そしてそれらの結実である「相乗効果領域」という奇跡の複利。
それらを信じ、そのうえで私たちの「思考」を、真の自己愛(自分事)に向けて存分に発揮させようじゃありませんか!
「考える葦」それこそが私たちの正体なのですから。
如何に「共有可能なエゴ(積集合)」と言えども、例えばそれを満たす手段が法令に反していれば、やはり原則の前に敗北します。当然ながらその手段を「共有」してはいけません。
組織内の対立にはこのような「やるべきでないこと」のゴリ押しをはじめ、残念ながら「やりたくないこと」や、本質的に「できないこと」のゴリ押し(Win-Loseの支配的エゴ)がしばしば見られます。
「ベン図って2つの円のものだけじゃないよね?」という疑問に対するお答えと合わせて、ここでは最後に、「共有可能なエゴ」の充足にあたって、私たちがその手段を誤まらないようにする羅針盤。これもコヴィー博士の「7つの習慣」における中核テーマである「私の使命(ミッション)」すなわち「何に私の命を使うか?」を決める、3つの円からなるベン図の例を挙げさせていただきます。
例えばAIは私たちのできること(Can)を増やしてくれますが、それをどう使うか?AIで私がやりたいこと(Will)は何なのか?それは私がやるべきこと(Must)なのか?は、すべて私たち人間にかかっているということが、この図からはわかります。
その意味では、いたずらにCanの面積を広げる(AIに何でもやらせる)のではなく、Canのどの領域に注力し、一点突破を図るか?が重要であることもわかります。
蛇足ながらこんな認知限界を超える長文も、AIのCan無くしては、とても書けたもんではありません(と言っても文章そのものは、私が私の使命に従って書いています。AIにお願いしているのは、ベン図のベースhtml生成、タイポの指摘、論理的堅牢性と認知流暢性、フェアネスの検証と相談です)。
このベン図についてまとめれば、Will(意志)こそが、私たちのエゴのエネルギーの最たるもの(エンジン)であり、それを実現可能とするのがCan(影響の輪)、正しく導くのがMust(原則)です。
何よりもWillなきMustや、WillなきCanが、命の無駄、対立や不毛の源泉なのです。
結局のところ、企業の究極の目的である「今日から将来にわたってお金を儲け続けること」は、「やりたくて、やるべきで、できること(積集合)」でしか果たせない。そこでしか生産性は上がらないというのが、この思考プロセスの示すところです。
一方で「概念」としてはこれを認知できても、いざこの上で思考を巡らせようとすると、その困難さは2つの円のベン図の比ではありません。「関心」が、ベン図の複数の領域に発散してしまうからです。
私たちはAIではありませんので、実務上はここから2つの円を抜き出し、積集合を思考した後に、その積集合を円として、残されたもう1つの円と重ね合わせて思考するといった形、常に2つの円のベン図があらわす明確な「対立」に、順を追って思考を巡らせるという使い方をおすすめさせていただきます。
以上、『【ベン図】「対立」があぶり出す「両勝ち」の思考プロセス』 でした。
はからずも重い言葉を使ってしまいました。
「では、あなたご自身の命の使い方は?」
こういうことを言うヤツには、当然そう問いたくなる事でしょう。
安心してください。「私は楽しみ尽くす為に私の命を使います。」ただそれだけのことです。
けれども私の楽しみ(Win)の為に他者が犠牲(Lose)になることは楽しくないですし、楽しめない他者(Lose)を、手をこまねいて見過ごし続けるというのも私の楽しみ(Win)を阻害する = シンプルに私のエゴと、Win-Winの原則に反するというだけです。
私は日本や世界を救いたい訳ではありません。Win-Winの困難さを知るほどに、できればなるべく他者とベン図を重ねたくない、思考をサボりたいというのが、偽らざる私の本音です。そんな野心を抱いたら、多分私はパンクしちゃいます。
私は食品スーパーという限られた領域、中でもID-POSという更に限られた領域の「道具屋」ですので、せいぜいその領域で自身の「影響の輪」を深め、摩擦や対立を存分に「楽しみたい」と思っています。
本稿を働く仲間の「楽しくなさ」の解消に、そして生産性の向上に、お役立ていただければ幸いです。
【追伸】
深刻な問題、対立に直面した時、はじめて私たちは、それを考えなくて良い時間(ぼーっとしている時間や、下らないことを考えていた時間)を「幸せだった」と認知します。
けれども残念ながら、その時にはその幸せを認知できないように私たちは作られています。