やりがいのない「忙しさ」を捨て、「商い」に調和を生む
故エリヤフ・ゴールドラット博士のベストセラー「ザ・ゴール」は、企業の究極の目的「今日から将来にわたってお金を儲け続けること」の提示と、それを阻む制約条件(物理制約)の活用方法という、「生産性の定義と科学」に関するお話でした。
一方で制約条件(物理制約)を見つけるにしろ、活用するにしろ、一々それを阻むのが、私たち人間のエゴに基づく「仮定の誤り」です。
続編「ザ・ゴール2(邦題)」は、この物理制約の裏に潜む人間のバグ、真の制約条件(方針制約)を打破するための「思考プロセス」に関するお話でした。物理学者であるゴールドラット博士の執拗さ、ロジックの周到さには舌を巻きます。
これを読んだ時、「へぇ〜!人間の思考や行動もコンピューターのように『IF-THEN-ELSE』のロジックで、バグが出ないようにできるんだ!」と感心してしまったことを今でも覚えています。
私たちも、自分自身の思考や行動、所属する組織の思考や行動を、バグ無く、快適・円滑に動く(儲かる)ものにしたいですよね!?
それこそが「生産性」なんですから。
ところがこの「思考プロセス」を、人間の認知限界、認知のサボり癖という物理制約の中、本当に使いこなせる人は、ごく少数の限られた人だと言わざるを得ません。
現実問題、真の問題(中核問題)をあぶり出す「現状問題構造ツリー」を私が使えば、ツリーは際限無く広がり、模造紙と付箋紙が足りなくなってしまいます。それを継ぎ足していったとしても、あっという間に私の認知の限界を超えてしまいます。
あぶり出された問題を解消するための、最もシンプルな「対立解消図」ですら、ロジカルなフローと人間(日本人?)の感覚との乖離が、問題を「自分事」では無く「他人事」のようにスルーさせてしまいます。
その先にも「未来問題構造ツリー」や「前提条件ツリー」、「移行ツリー」といった思考プロセスのツリー群がありますが、正直「触ってみた」くらいで、すべてのツリーを通して本格的に使ったことは、一度もありませんorz
論理的には完璧でも、ゴールドラット博士クラスの天才でもなければ、「福音」とはなり得ないのです。
AIがこの世に出てきた時、このように複雑な「思考プロセス」は、意を決してツリーを書かずとも「AIとの対話の中に都度求められる」ものと安堵もし、希望も感じたものです。
しかしAIの時代だからこそ尚更、少なくとも「問題の芯」については、他人事やAI事では無く、「自分事」として押さえておく必要性を、強く感じています。
例えば昨今の「AIとヒトの対立」という論調は、畢竟「AIを利用/普及したい人」と「AIから守りたいものがある人」の対立という、ヒトとヒトとの問題です。
「クマとヒトの対立」という論調も同様に、「クマを駆除すべきという人」と「クマを守るべきという人」の対立という、ヒトとヒトとの問題です。
結局は問題も対立も、ヒトとヒトとの間でしか起こり得ないものであり、であるならばその解消も「ヒトによるヒトのためのもの」だからです。
他人はどうあれ、当人同士は真剣だからこそ「問題」であり、「対立」なのです。
「問題の芯」は「心の芯」すなわち「エゴ」同士の対立でもあります。だからこその「自分事」です。
その意味で「問題」とされるものは、常に「対立」として表すことができ、「対立」は常に「自分(たち)のエゴ」と「相手(たち)のエゴ」の対立で表すことができます。
さて、「対立解消図」はその名の通り、その「対立」こそが相互の誤った意思決定のあらわれ = 本質的な問題解消への糸口だとするものでした(エゴが間違っているのでは無く、意思決定とそこに至る仮定に誤りがある)。
今回は、対立を「対立解消図」代わりに解消する、お気楽で、人間の感覚にも合った思考プロセス「ベン図※」のご紹介です。
※.ちなみに「ベン」とは、考案者John Venn博士の名前に由来します。
目次以降の表面文字数◯文字。AIによる推論読了時間は約◯分です。
AI Verified@2026:本稿はAIによる論理的堅牢性とフェアネス、認知流暢性の検証を得ています。
私より前の世代では小4の「算数」で習ったらしいのですが、私の場合高1の「数Ⅰ」で習っているそう(いずれもAI調べ)です。
「数学苦手!」という方は多いでしょう。何を隠そう私も「こんなもん何の役に立つんだ?」と思いながら、授業を受けていたクチですw
そこでここでは、その基礎の一部復習と共に、それに合わせた「思考モデルとしてのベン図」の解釈を、()書きで示してみます。
「問題や対立は何故起きるのか?」が、雲が晴れるようにスッキリ見えてきたのではないでしょうか?
私のエゴ「だけ」を通そうとしたり、相手のエゴ「だけ」を通そうとしたりするから。そう!「差集合」を通そうとするからです。
あるいはそれを通すために、相互のエゴを正しく見つめ直すことをせずに、問題外の「補集合」を持ちだすことで、煙に巻こうとするから、話は余計にややこしくなります。
一応構造の数学的補足としては、以下のようになっています(読み飛ばし可w)。
・差集合同士の和 = 対称差
・対称差+積集合 = 和集合
・和集合+補集合 = 全体集合/普遍集合
問題=対立を解消するためのメスとして、「思考プロセスとしてのベン図」では、故スティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」より、2つの「原則」を拝借しています。
この書籍で言う「原則」とは、自然科学(例えば万有引力の法則)に相当するほどに、長い人類の歴史の中で証明され続けてきた、「変えることのできない真理」のことを指します。
「変えることのできないもの」に立ち向かうのは、電柱に向かって「お前がどけ!」と酔っ払いが突っ込んでいくようなもので、結果は見えています。
またこれは、「こうすれば、こうなる」という人間社会というゲーム盤における「ルール」のようなものでもあります。
原則(電柱やルール)を変えることはできません。変えることができるのは、それに対する自身の「出方(方針)」だけなのです。
「『両勝ち』さもなくば『取引なし』」の意味です。
過去に遺恨を残さず、「今日から将来にわたってお金を儲け続ける」のように、「続ける」ためには、 一方あるいは両方が「Lose(譲歩や妥協)」というバグを抱え込んでいる限り、長く「続く」通りがありません。
よくよく思考してみれば、「両勝ち」だけが答えとなるのは、生産性の観点からしても明白です。
もしも「そんなの当たり前だ!」「それが難しいから聞いてるんじゃないか!」とおっしゃるのであれば、残念ながらあなたのエゴは、ヒトとしての思考をサボり、手っ取り早い支配(Win-Lose)のハウツーを求める「支配的エゴ」に属しています※。
※.もしかしたら「ニュータイプ論」や「人類補完計画」「ルフへ還ろう」のような、「分かりあえる」「完全に重なるべきだ」という理想主義に基づくものかもしれません。
「両勝ち以外は捨てる」それだけでも、こと「思考のサボり」に関しては、今後随分とショートカットができるじゃあありませんか!?
エゴもサボりも別に「悪いこと」ではありません。原則同様、ただ「そうだ」というだけのものですので、それをしっかりと認知し、自明である「両勝ち」に向けてどう使うか?が重要です。
・対立の「摩擦」を恐れず、両の眼でしっかりと見据えること。
・「摩擦」を避け、力で抑え込む/妥協してやり過ごす という安易な選択肢からの誘惑を退けること。
好もうと好まざるとに関わらず、「摩擦」は常に存在しています。
「摩擦力」があるからこそ、そしてその強いあらわれである「対立」があるからこそ、すべての事物に、横滑りせずに前へと進められる機会、確かな手応えがあるのです。
「考える葦」それこそがヒトです。
天候や政治、経済を恨んでも何にもなりません。それは私たちが「関心」はあっても、「支配」することのできない「外的環境」だからです。前章に重ね合わせれば、支配するでも、されるでもない「No Deal」な態度を取るべき対象です。
一方でそれと同様に、「相手」も何ら変わることのない「外的環境」のはずなのですが、何故か私たちは「相手を変えられる」「(自分ではなく)相手が変わるべき」という幻想を抱きがちです。
これは前章でも述べた思考のサボりであり、「Win-Lose」という単純かつ支配的な思考のあらわれです。
私たちがこのような幻想を抱くのは、天候や政治・経済と違い、なまじお互いのベン図上の重なりが「ゼロではない」ことに起因しています(だからこそ摩擦があります。ゼロだったら対立も問題も起きません。)。
支配しようと思えば支配できる(影響を及ぼせる)のは、言うまでもなく自分だけです。これを「影響の輪」と言います。
一方で、支配したくてしたくてしょうがない(関心が執心に変わる)が、畢竟支配できない対象の事を「関心の輪」と言います。まあ、恋人とか子どもとか部下を想像していただければ良いでしょう。
※.「機動戦士ガンダム」の富野由悠季監督はこの概念を、悟りを開いたとされるブッダですら、全人類を悟りへと導く事はできなかった =「悟り(個人的経験=自分事)の不可伝性」として示唆しています。
この図は同時に、「自分のことにはわりと無関心」であること、すなわち私たちが「メタ認知」に欠けていることも示唆しています。
件のコヴィー博士は、自分の「影響の輪」にこそ関心を持ち、自らの成長に執心することこそが、その影響力を高め、長期的に相手の関心を否が応にでも惹きつけることに繋がると説いています(図の右の円が、質量を高めた左の円に引かれて行くさま、または図の左の円が(主に右方向へと)成長・拡大して行くさまを思い浮かべてみてください)。
「関心の輪」に執心することは、自らの「メタ認知」の欠如と成長への関心を棚に上げ、相手にレッテルを貼り、相手の成長という不確実性に期待することです。
不確実性への期待や執心、いわば「願掛け」をビジネスとは言えませんし、自分すら「完全支配」することが不可能な人間が、況や相手をやです。
これら2つの原則が腹落ちできたならば(それが一番難しい「思考」かもしれませんが)、思考プロセスとしてのベン図の原則は、以下のようにまとめられます。
身も蓋もないようですが結局のところ、問題解決、対立解消のためにはWin-Win(積集合)しか無い、Win-Win(積集合)だけに絞るのが最も生産的だというのが原則です。
これを(残念ながら輪じゃないのでorz)「相乗効果セグメント」と呼ぶことにしましょう。
「狭くてしょぼいセグメントだな……」と思われましたか?もう一度セグメントを見返してみてください。
そこは、関心と影響の積集合であり、私のWin・私の影響の輪と、相手のWin・相手の影響の輪の積集合でもあります。いわばすべてが矛盾なく重なった「パワースポット」のようなセグメントです。
そこは共に勝ちを望む「自分事」であり、単純な一人の「影響」を、はるかに超えたレバレッジ(複利)、「相乗効果」が期待できるセグメントなのです。
ベン図という思考プロセスのルールが分かったところで、次はその具体的な書き方を、例を出しながら示していきます。
ベン図にはまず、対立する2つのエゴを書き出し、次いでその下に、その発露である具体例を書いていきます。
本来対立する双方が「相手のエゴ」を具体的にあげつらっていくことが、お互いの「得意分野」であり、進め方として「フェア」でもあるのですが―
例えば多勢である「買い手」と無勢である「売り手」が一堂に会することは物理的にできませんし、労使(特に労)が「相手のエゴ」をあげつらっていく姿も、残念ながら想像できません。
そこでここでは、コヴィー博士の「理解される前に理解する」の原則に従い、まず相手のエゴを、充分に慮った上で、そのような機会がたとえ無かったとしても、相手に見せ、納得を得ることを前提としながら、フェアに書き出していきます。
次いでそれに対応する「鏡像」として、自身のエゴを、フェアに書き出して行きます。
多くの場合、私たちは相手を悪しざま(?)に言うのは得意でも、自分を悪しざま(?)に見ること(メタ認知)には慣れていません※。
けれどもそれが「鏡像」の形を成さなかった場合、相手はそれに対して「お互いさま」とは決して思わないでしょうし、その具体例は間違っている=フェアネスを欠いていることになります。
鏡像となっているか?フェアであるか?は、心理的安全の面から言っても、AIに検証してもらい、修正して行くのがベストでしょう。
※.メタ認知ができないと言うことは、相手に対する自分の認知も「怪しいもの」だと考えるべきです
エゴは、「エゴ = 状況 ✕ 価値観」という式で表すことができます。
対立は、互いの置かれた「状況の違い」、それが生みだす「価値観の違い」に起因すると考えれば、相手のエゴと自分のエゴへの解像度がより高くなります。
例えば労使といった自明な状況の違いは、「決算数値」VS「顧客満足」といったあたかも対立に見える、優先順位(価値観)の違いを生みだしています。
これらはそれぞれが直面する「株式市場」、「現場」という異なる状況からのプレッシャーや恐れに起因しています。
そこを、フェアに慮ることです。
ここでは、ベン図の例を2つ挙げさせていただきます。
「思考」していただくことが大事ですし、多様な考え方こそがブレイクスルーの源ですので、ベン図に「答え」は書き出しませんが、思考の足掛かりとなるよう、私なりの「仮定の誤り」と、「積集合の考え方」を例示してみます。
この場合、買い手が多勢な為、状況も価値観もバラバラで難しいのですが……
【売り手の仮定の誤り】
関心の輪に働きかけられる(「買わせる」「育てる」という、Win-Loseな支配的発想)
【買い手の仮定の誤り】
あなた「神さま」?(Lose-Winな支配的発想)
⇨ そんなアンフェアな買い手とは、No Dealが互いに吉
【積集合の考え方】
単純に言えば、買い手の「欲しいもの」を理解し、それを自らの「売りたいもの」に変換できれば良いということになります。
それらを全部揃えられれば、「もっと一杯買って欲しい」というエゴと、「一店舗で済ませられて楽」というエゴが、自ずと「調和」することとなりますので、何も相手を「育てる」などという考え方も、「私は神さま!言う通りになさい!」などという考え方も不要となり、雲が晴れます。
バラバラである「欲しいもの」をどう理解し、売り場面積の範囲内で収束させるか?が課題となります。
さて、社外(市場)との対立の次に挙げるのは、社内における対立の例です。
【標準化の仮定の誤り】
・属人性、突発性(ブレイクスルー)が無くとも「続く」という勘違い
・属人性は「廃す」べき(マニュアル、データに「従わせる」というWin-Loseな支配的発想)
・標準化という手段の目的化
【属人化の仮定の誤り】
・高付加価値な人材とは「楽」、「続く」に貢献できる人材なのでは?
・マニュアル、データ軽視(自らのマニュアル(勘と経験)以外を軽んじるLose-Winな支配的発想)
・属人性という手段の目的化
【積集合の考え方】
単純に言えば、お互いに「儲け続ける」というゴールを明確に認知した上で、どちらか片方を全肯定し、もう片方を全否定するような、「思考のサボり(支配的発想)」「手段の目的化」を廃し、建設的に両者の「良いとこ取り/悪いとこ捨て」を行えば良いと言うことになります。
これまた単純な言い草ですが、「儲け続ける」ために必要ないことを極力「やめる」。
「儲け続ける」ために必要で、労働者が「やりがいが無い」、「サボりたい」と思うことをこそ「標準化」する。
「儲け続ける」ために必要で、「やりがいがある」、「やりたい」と思うことを奪わず、「属人化領域として残す」。
というのが一つの考え方になります。
労働者もその矜持にかけて、機械以上の仕事の成果をコミットする必要があります。
冒頭に、問題の解消とは「ヒトによるヒトのためのもの」と書きました。
仕事もこれと同じで、畢竟「ヒトによるヒトのためのもの」です。
ですから「ヒトによらないもの(標準化)」は、「ヒトによるもの(属人性)」をより良くするためのものであるべきですし、「ヒトによるもの(属人性)」も「ヒトによらないもの(標準化)」をより良くするためのものであるべき※です。
いずれにせよ、双方が共に「ヒトのためのもの」であるべきなのです。
※.属人性が競争力の邪魔になると思われている方、標準化できないと思われている方は、過去記事『AI店長を無料で作ってみよう!(『勘と経験』標準化のすゝめ) 』をご覧になってみてください。
「ヒトによるヒトのためのもの」この仮定が狂ったとき、冒頭で触れた昨今の「AIとヒトの対立」という論調、「AIに仕事を奪われる」は、「仮定の誤り」の下、労使双方にとって妥当な帰結となります。
労働者を「安い労働力」としか見ず、自らの支配欲を満たしたい使用者の下では、「AIに仕事を奪われる」は「正」となります。そのような使用者は、文句を言わず、言いなりに働くAIを相手に、自身のエゴを満たすことになるでしょう。そんなパラダイム(Win-Lose)を持つ会社に身を置く労働者のみなさんには、転職をおすすめします。
一方で「儲ける」というエゴも矜持も持たず、そこにヒトならではの属人性も発揮しない労働者(Lose-Win)が、「AIに仕事を奪われる」のは当然の結末です。
結局のところお互いが原則(Win-Win)に従い、共に「儲ける」という「共通のエゴ」に向かっていかなければ、積集合はもちろん、差集合である「私だけの勝ち」というエゴが、長く「続く」ことはありません。